気遣わない

実家に居た頃、母からしょっちゅう「あんたの気遣いはいつもずれている」と怒られていた。例えば、風呂洗いを頼まれて、浴槽だけ掃除すればいいのに壁の汚れが気になって延々ゴシゴシやってたら、「そんなのいいから夕飯の手伝いをしなさい」といった具合だ。当時はそれなりに反抗していたが、今は完璧に把握しているので感謝の気持ちしかない。

しかし悲しいことに、これが原因で職場でも定期的にミスっている。開き直っているつもりは毛頭ないが、治らないものとは上手く付き合っていくしかない。

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朝から雨だったので自転車ではなく徒歩で帰宅していた。

傘が嫌いなので少しでも差さずにいられるようにアーケード街を通る。狸小路商店街。これで2、300mは稼げる。

しかし相変わらず4月はうんざりするほど寒い。ビルの外壁にでかでかと一桁の温度が表示されている。

最近ハマっている日食なつこの曲をうんうんと噛み締めながら聴いて歩いていたら、視界の外からチラシを持った腕が出てきた。

一瞬、秋葉原で絵を売る女性につかまった時のことがフラッシュバックしたが、顔を上げるとメイドさんがこちらを見ていた。

「オープンしたので寄っていきませんか?」

って言った気がする。不意を突かれた上に日食なつこが耳元で熱唱しているのでいまいち聞き取れない。

「あっ…今日はちょっと…」

「じゃあまた今度、ツイッターもあるので見てください」

彼女は仲間のところに戻るとまたすぐに彼女たちを避けるように歩く人に向かってチラシを配っていた。

メイドカフェって未だに忌避される存在なんだろうか。まあでも正直、見た目も中身もターゲット層ど真ん中の僕自身もどう楽しむものなのかはあんまりわからない。ひと回りも離れた女性と同じ空間にいられない。申し訳なくなってしまう。

いや、僕のメイドカフェ観が古いのかもしれない。電車男アキハバラ@DEEPあたりから更新されていない。今は若者とか女性のための空間なのかもしれないな。そもそもお呼びでないのだろう。

そこから自宅まで、イヤホンを外さなかったから感じ悪く映ったかなーーーーーとぐるぐる考えていた。

帰宅後。せめてもの罪滅ぼしにツイッターをフォローしようとチラシに書かれたアカウントを開いたら最新のツイートが「満席ありがとうございます!」だった。とっくにめちゃくちゃフォローされていた。調べてみたら東京にもある有名な店らしい。寒い中なりふり構わずチラシ配りをしているくらいだから、勝手に客集めに苦労しているもんだと決めつけていた。

またやった、と思った。気遣いの方向がずれている。帰ってきてツイッターをフォローすることがあの瞬間チラシを配っていた女性のためになることは1ミリもない。

あのとき僕が彼女にできる気遣いは、そのままお店に入る以外なかった。

 

あれからしばらく経ったがまだ店には行ってない。もし近くを通ったときにチラシを渡されたら次こそは…!と思っているが、たぶんこれも間違っている。

さっさと行けばいい。行ってこれを全部話してドン引きされるのが正解。

そっからがスタート。

 

もういい年なのでこういうのやめたい日記

ツイッターのせいで世の中のあらゆることを、できるだけ短い言葉で受け止めるようになった。気がする。

もともとちっちゃい頃から学校行事の感想文なんかは大の苦手で、ノルマの400字詰め原稿用紙一枚を埋めるために句読点や改行をこれでもかと駆使していたような人間だったが、今は140字すら長い。

140字から溢れるほど深く興味を持てないし、それをしていたら置いていかれてしまう。アウトプットされた言葉は大勢に配慮した結果、ほとんど削ぎ落とされて誰にも迷惑がかからない小さな柔らかい玉のようなものになる。金玉。

自分がなぜ興味を持ったのか、何に思いを巡らせたのか、あとで見返してもなにもわからない、誰のものでもない言葉だけが残っていく。

そうして結局、どれだけのことが起きても「すごい」「最高」で通り過ぎてしまう。

なにかが琴線に触れたはずである。きっと大きな声で伝えたかったはずである。

でももう思い出せない。自分が書いたこと以外なにもわからない、なにもない言葉で全てを片付けてついていくしかないのです。