もういい年なのでこういうのやめたい日記
ツイッターのせいで世の中のあらゆることを、できるだけ短い言葉で受け止めるようになった。気がする。
もともとちっちゃい頃から学校行事の感想文なんかは大の苦手で、ノルマの400字詰め原稿用紙一枚を埋めるために句読点や改行をこれでもかと駆使していたような人間だったが、今は140字すら長い。
140字から溢れるほど深く興味を持てないし、それをしていたら置いていかれてしまう。アウトプットされた言葉は大勢に配慮した結果、ほとんど削ぎ落とされて誰にも迷惑がかからない小さな柔らかい玉のようなものになる。金玉。
自分がなぜ興味を持ったのか、何に思いを巡らせたのか、あとで見返してもなにもわからない、誰のものでもない言葉だけが残っていく。
そうして結局、どれだけのことが起きても「すごい」「最高」で通り過ぎてしまう。
なにかが琴線に触れたはずである。きっと大きな声で伝えたかったはずである。
でももう思い出せない。自分が書いたこと以外なにもわからない、なにもない言葉で全てを片付けてついていくしかないのです。